北海道の炭鉱に残る美しい廃病院。1968年の12月に完成したという。
前身は1935年築の雄別炭砿診療所で木造建築だった。そこは1968年の9月に火災で消失したので、当時ここは生まれ代わりのような存在だったのかも知れない。
しかし、完成の二年後に雄別炭鉱が閉山。程なく雄別炭鉱病院も閉院となった。それが半世紀経っても残されている感動。二階建てタイル張りの印象的な外観だ。
ここの見所は何といっても、この中央の奥の美麗なる回り斜廊にある。
天気も良好だ。
秋の麗らかな日差しが舞い込んでいる。
二階フロア。北の大地でただ一人、唯一無二の光景を満喫している。
以前はここ、螺旋のスロープが備えられていたらしいが見当たらない。
ちらりと見えるトイレ。病院だもの。
そろそろてっぺんフロアに到着だ。
螺旋は行き止まり。
外に出られそうだ。
きっと当時は患者さんも出られたのだろう。ここからも美麗な螺旋階段が眩しく見える。なんだか希望を感じる。ここを設計した方は本当に凄い。
しばらくここに居た。恐らく半径数キロ先まで人はいない。
ゆっくりと下ろう。
何年も前から訪問したかった場所だ。一歩一歩、感慨深い。
以前は窓ガラスがあったのだろう。ほんの少し破片程度に残っている。
あっ、この感じ何かに似ている。
沼東小学校だ。何かしら建築ラインに関わりがあったら面白い。
一番下まで戻ってきた。
奥は水没。
受付へ。
こんなに立派なのに開業期間が二年間というのも、さぞ無念だったろう。
病棟を巡る。
枯れ葉が滞留している。
二階へ。
まだまだ美しい静謐な空間は続く。
実は2007年に近代化遺産として認定された。
そのためか、一時期は荒れた状態にあり多くの落書きが見られたが、全て消されたとも聞いている。
ここは、作家の渡辺淳一さんが勤務していたことでも有名である。
一世を風靡したドラマ『失楽園』の作家と言えばわかる人も多いだろう。医学博士でもあったのだ。
一つの映画を見終わったような、そんな気持ちで建物を出る。
敷地は他にも病棟があり広かった。最後に、螺旋階段を外から見てみようか。
ずぅぅぅ~ん!!
外観も十分に美しい。緑のソファーに座って、暫く眺めていた。
時間の流れを気にすることなく陽光は降り注いでいる。いつの日か、夏に訪問しよう。それまでお元気で…。美麗なる回り斜廊と、無言の約束を交わした。
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