浦山ダムの駐車場に車を停め、暫く歩いた先。この20キロ制限標識(裏)を目印に登り始める。
眼下に広がる浦山ダムは、1998年に完成した。水没した集落もあったが、ほとんどの集落は山の斜面の高い土地にあったため水没を逃れたと聞いている。
若御子(わかみこ)集落はもうすぐ。目印はこの鉄塔だ。
ここから余計な迂回をしてしまい、少々迷うことになる。それも旅の醍醐味だと思っている。
登山道から石垣が見えたので登る。廃村巡りでは石垣が目印になることが多い。
うおー!見えてきた!!
この地には江戸時代から居住者があったらしいく相当の歴史を誇る。杉の植林により湧き水が出なくなったこと、浦山ダムの建設などの影響で昭和50年代に無人化したという。
小屋を見てみよう。
これは調べた。風を起こして、モミや穀物を選別する脱穀機である。旭のマークは1948年に設立の「旭産業株式会社」を表す。
建物は消え、石の基礎だけが残っている。
お釜だ。当時の生活が垣間見える。
屋根もペシャンコ。少し深めの穴もあるぞ。
残された唯一の母屋へ。
壁は無くなり、開放的になっていた。
どんな家族が住んでいたのだろう。何となく当時の団欒が感じ取れる、暖かみのようなものを感じた。
木は朽ちるが、硝子は残る。
裏側へ。少し霧が出てきた。
元々はもっと大きな建物だったのだろう。
石垣は頑丈だ。積み上げた際は子供も手伝ったのだろうか。どんな会話を交わしたのだろうか。想像は尽きない。
増築の跡が見受けられる。
最後に二階に行ってみよう。
二階には歯のような木製の椅子があった。きっと一本の木から造りあげたのだろう。よくぞ残っていた。
二階からの風景。
この家の周辺にそびえ立つ大樹たちは、若御子に暮らす人々の暮らしをずっと見守ってきたことだろう。
いつかあの建物も消えてゆく。木々はひっそりと押し黙っているが、それは何か言葉を内に秘めているようにも思えるのだ。
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