1954年に閉山となった幌浦炭鉱の関連遺構。朽ちたコンクリート二階建て住宅が三棟残る。寒々しい秋空の下、インパクトは抜群であった。
1944年の陸軍撮影空中写真では確認されていない。終戦後に建設されたものと思われる。
夕暮れ時も相まって、凄まじい威容を誇っている。
中はすっからかん。残留物もなさそうだ。
二階へ。
朽ちたコンクリ壁から隣の棟が見える。三棟編成なのだ。
全ての二階の定位置には穴がある。住居の名残であろうが、人が落ちないように板で覆われている。
木の扉。うっすらと表面に見える苔が長い年月を感じさせる。下で支えている石だってそうだ。
木がボッキボキ。
夏は一面緑に覆われるのだろうか。今は想像もつかない。
この階段が好きだ。往時の写真があったら是非見てみたい。
木の枠が残っている。当時はどんな風景だったのか。子どもたちの元気な声も響いていたのかな。様々に想像力を掻き立てられる。
このコンクリの崩壊具合。少し解体が入ったのだろうか、はたまた自然の力か。後者に感じられるが、にわかには信じがたい。
奥に白いガードレールが見える。車道からこのアパートはバッチリ見えるが、そもそも車が通らない。
落書きが一切ないのも良い。
映画のワンシーンみたいだ。
たまにホイッスルを吹く。念には念を入れた熊対策だ。
照明器具だ。くるくると短めに束ねられている。やっと当時の息遣いに会うことが出来て嬉しい。
二階へ。
これはトイレの跡ではなかろうか。このタイプのトイレは日本では絶滅危惧種である。
廃墟の窓から。
コンセントだ!!宝探しをしているような気分になる。
洗面ボールかな。鉄製のものは今は殆ど見なくなった。
落ちていた雑誌の切れ端。昭和の64年のものだった。ちょうど平成への過渡期に当たる。
調べによると昭和30年代まで居住されていたという。ここは建てられてから数年後に突如、鉱山事業が閉鎖。
多くの人々は慌ただしく山を出ていくことを余儀なくされたという。
起き上がりこぼしだろうか。少し寂しいね。
廃墟は二度死ぬと思う。一つは建物の死、もう一つは記憶の死。大抵は解体などで最初に建物の死を迎える。そして、誰も思い出さなくなった時、記憶の死を迎える。
ここはどちらが最初なのだろうか。
時折、鹿の声が響く。肌寒くなってきた。
往時のアパートの写真だ。昭和25年には一帯の総人口が3600人まで膨れたという。山と生きる人々のかけがえのない生活の日々がここにあったのだ。
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