1903年(明治36年)に完成した県内最古の木造校舎。名前は大谷村と防己村の一文字ずつを取って、大己(たいき)小学校。地域の過疎化により1970年に廃校となった。
校舎は3メートル以上ある石垣の上に、張り付くように立っている。蔦が年月を物語る。
この辺りは石垣積み文化が盛んだ。周囲には石垣でできた棚田も広がっており、校舎も含め美しい景観を生み出している。
寂しいお知らせだ。
取り壊しが決定している。
校舎裏側の土手からの眺めであるが、老朽化は確実に進んでいた。
文化的な価値も認められ、保存に向けての活動もあった。しかし建物の補強には1億円かかるという試算になり、地域住民にアンケートを取ったところ、解体は致し方ないという結果になったという。
100年以上の歴史を誇る廊下。頭上の標語もユニークだ。
「新聞」の欄にはニュースを書いたのかな。
昔の学校は、地域の方々の寄贈で成り立っていた。勉強用具や運動遊具、それぞれに思いがこもっていた。
見上げれば大運動会。
ひっそり閑としている。子供たちの元気な声は、もう帰ってこない。
窓の外では、今年も季節が巡る。誰もいない教室で少ししんみりした気持ちになる。
でも、古老たちの背中からは清々しささえ感じられた。十分にやり切った感じだ。
在りし日の大己小学校の写真だ。校舎の前に児童が集う。「石垣が高くて窓を拭くときは怖かったなぁ」「学校のそばを流れる山のきれいな水で、牛乳を飲んだ後の食器を洗ったもんだ」「運動会で縄をなう競技があったのが懐かしい」この学校に通ったご年配の声が新聞に載っていた。校舎はなくなろうとも、卒業生の心の中で大己小学校は生き続けるのだろう。
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