1906年に簡易教育所として開校、1947年に沼東小学校となる。ピーク時には29学級、児童数1570名にまでなったというから驚きだ。三菱美唄炭鉱の閉山に伴い1974年に閉校となった。
ここまで来る道は決して平坦ではない。熊鈴を鳴らし、橋を渡ってきた。
沼東小学校は川の水が入り込む場所にあり、一階が水没している。
水飲み場。子供たちの活気ある声はもう響かない。
螺旋階段だ。落ち着いた色のトーン、清潔感すら感じられる。
円形の建物は、建設資材が少なく頑丈であるという点から、自然の厳しい北海道で重宝された。しかし、増築ができず専門的な技術も要する事から廃れていったという。
教室がどれもバームクーヘン状の形をしている。
「正面黒板」の文字。最初の建築過程で記されたものだろうか。
見上げる。廃墟美に会えるかどうかは、廃墟の神様の気まぐれ。今日はご機嫌らしい。
右手に穴。円柱の中を覗いてみよう。
上方と下方をチラリ。ふむふむ。
光が作る芸術。設計&建築に関わった人たちはこれを見て、会心の笑みを浮かべたに違いない。
まるで北の大地に降り注ぐ満天の星たちのよう。
円形に黒錆びた手すり。水没した一階へ行ってみよう。
ジャブジャブ進む。
水だって芸術家だ。授業中に子供たちが眺めた窓が、こんな光景をつくろうとは誰が想像できよう。
沼東小学校はずっと行きたかった。北海道旅行の下調べで、幾つかの有名廃墟が事切れたことを知り寂しい気持ちになっていた。ここは訪問することが出来て本当に本当に良かった。
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