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ロシア病院

誰が呼んだかロシア病院。正式名は海軍第三火薬廠。戦時中には約5000名の動員学徒が、生産に従事していたらしい。ちょこんと佇む消火栓には海軍のマークが描かれていた。

実は病院とは全く関係なく、ここは兵器工場だった。戦艦大和の砲弾を作っていたとも、人間魚雷「回天」の弾頭を作っていたとも言われる。

夏場であれば草木が繁茂し、行く手を阻むのは想像に難くない。学術的な調査もたまにあるようで、探訪者も含め、その踏み跡がかろうじて道を作っている。

トンでもなく大きなパイプは随所に横たわる。そして、ここは広い。

建物群の裏手は竹藪。

建物の間に隙間が見えるぞ。

数分で通り抜けた。当時の人々もここを通ったのだろう。どんなことを思い、考えながら歩いたのだろう。

用途不明の遺構が風化してゆく。

戦争は遠い遠い昔となってゆく。

一通り見終わった…わけではなく、森の中にまだまだ遺構は散在しているのだ。



奥へ奥へ



歩みを進める

道の途中、394と書かれた建物を見つけた。進駐軍に接収されたときに割り振られた番号で、毒ガスを製造していた大久野島の施設でもこういった番号が見受けられる。

そして、トンネルが見えてきたぞ!!

392。火薬の保管庫であり、他の建物とだいぶ距離をとって設置されている。

この中には驚きの光景が待っていた。それは後程…

強固な扉。

頭上には素敵なランプ。真っ暗な森の夜を、ひっそりと照らしていたのだろう。

あのトンネルは「危険な火薬庫と他の建物を遮蔽する土塁に空けられた穴」という認識が正しいだろう。

裏手に回ると…人為的な迷彩柄。敵機に見つからないようにする工夫だ。



では、中を



覗いてみる

そこには満面の水が湛えられていた。ここは川の通り道になっており、水が引くことはないのだ。



最後にトンネルの上に



登ってみた

森の中に佇む廃火薬庫、いいアングルだ。一人なので無言の対話ができた気がする。戦争遺構を訪れると毎回謙虚な気持ちになる。

ロシア病院に別れを告げる。山間に隠れるように残る廃墟は、今もそっと眠り続ける。

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