開校は1935年だが、1952年に火災で一度全焼。同年に再建されたものが現在の校舎である。当時は秩父の山深い集落に実に2000人以上が暮らし、多い時には鉱夫の子ども約300人が通った。
その後、鉱山産業の収縮によりどんどん減っていき最後は7名。1985年に閉校となった。
校庭には今も古びた遊具が点在している。秋寒い空の下、夕暮れ時に訪問だ。
正面。崩壊が凄い。
一階は廊下が一部通行止め。
教室は資材置き場のようになっていた。
独自の給食室もあり、ここが山奥であることに気付かされる。
昭和48年度卒業記念。
2階へ。小倉沢小中学校が、どうしてこんなにも人々を魅了して止まないのか。最大の魅力は廊下にあるんじゃないかなと思った。
甘美な感じかする。うっとりだ。
廃校としては有名で、絶えず多くの人が訪れてきた。
渡り廊下で、こちらの講堂と繋がっていた。上方には校歌、奥に行ってみよう。
運動会で使った得点板。子供たちのかけがえのない思い出が散りばめられている。
そっと、扉を閉める。
当時の子供たちも親の年齢だ。
小中共用の多目的教室。
訪問する度に、机や椅子の配置は変わるという。
さぁ、三階。ここに多くの訪問者たちを魅了する部屋がある。
ここは最上階、天井から光が降り注いでいる。廃墟となった今、床を腐らせ結果的に絶妙な廃墟美を生み出している。
この学校はいつ解体されてもおかしくない。NPO団体から保存の声も上がっているそうだが難しいだろう。春夏秋冬、様々な顔を見せてくれる小倉沢小中学校。今後、あと何回訪問できるのだろうか。
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