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黒保根中学校楡沢分校

黒保根中学校楡沢(ねりざわ)分校。緑の絨毯に優しいクリーム色が映える。1952年に開校し、1973年に閉校となった。

古いPOST。壊れた軒端から照明がぶら下がる。崩壊は進む。

水場もすっかり苔蒸している。

内部は混沌としていた。別の用途に使われた時期もあったようだ。

床が抜けて棚も傾いている。

職員室のプレートにかかったツタが、何ともお洒落。

かつての教室に、机や椅子は見当たらない。

「手を洗おう」のステッカーは学校だった名残。バケツにはクモの巣が張っている。

黒板の剥がれ具合は意図的だろうか。

そんな黒板の頭上に予定表。ちょうど半世紀前は現役だった。

やはり、一度何かに転用されたのだろう。

残されたオーディオ。だいぶ古い。

調理室。山奥にあるので給食は届かず自給自足だったのだろう。奥に張られたカレンダーは1991年。

二階へ。

踊り場。事切れた石膏像に光が差し込んでいた。

この小さな建物が中学校というのが驚き。分校なのでこじんまりとしている。

窓から見える緑は校庭である。奥にも建物が見えるので後で行ってみよう。

二階の床は踏み抜かないように注意注意…。

奥に何かあるぞ!!

それはギターだった。木を背もたれにしている。チューニングも合っていたので、誰かが置いていったのかな。

一番奥の部屋。

天井が崩壊している。この校舎は確実に無への回帰が進んでいた。

校舎の裏手。何が建っていたかは知る術もない。

二階の窓から見えたあの建物へ行こう。

サッカーのゴールポストだ!!頭上のもっさもっさした奴は…

バスケットボード!!!外でバスケットしたのかな。

建物は体育館ならぬ、体育室。

様々な式典なども行われたのだろう。それにしても壇上がエライこっちゃ…。

この部屋には、オルガン、餅つきの臼、玉入れ籠など様々な物が散乱していた。

情報のない小さな分校。確かな足跡が随所に眠っており、廃校の醍醐味を堪能することができた。

PS.ここで全国の廃校を撮っている著名な方に偶然お会いした。現場で人に会うことはなかなか無い。貴重な出会いも含めて、思い出に残る校舎となった。

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