1916年に完成し1969年まで煉瓦や屋根瓦を焼成。ドイツ人のフリードリッヒ・ホフマンによって開発されたホフマン窯が現存する。
中に入ってみよう。
ちょうど黄昏時の夕日が射し込む。
近代化を目指す日本にとって、煉瓦を全国に普及させるのは急務であった。
このホフマン窯は全体で測ると幅約14m、長さ約55mとのこと。1000度の高温で一度に多くの煉瓦を精製できた。
欧米に倣ったのはいいが、後に煉瓦は弱点を露呈する。
意外と崩れやすい。1923年の関東大震災で、それは決定的となった。
洞窟はUの字になっており、もう一方も進む。
外に繋がる穴。塞がれている場所が多い。
行き止まりだったので、一旦外に出る。奥に見える現役の建物はデイケアセンターだ。
煙突の真下には、どうしても行けそうにない。
周辺を散歩すると、当時の面影がちらほら。
一眼レフを構えた初老の男性と立ち話になった。ここは良い撮影スポットらしい。
頑張れば窯の上に登れそうだ。
トラップ(恐らく当時の空気穴)に注意しながらズンズン進む。
どーん。
ここは住宅街の真ん中。高さ約30mの煙突は遠くからでも見えていた。この煙突は近江八幡市の歴史を見続けてきたのだろう。
実は近代産業遺産という横顔も持つ。戦前、そして戦後の産業を支えた功労者は、今日も街を見守り続けている。
コメント