1902(明治35年)に建てられた、清流沿いにある山の学校。児童数の減少により1987年に閉校となった。校舎の裏側には、一部が橋になった渡り廊下があり、運動場や焼却炉がある。
トンでもない山奥にある。空気はピンと張りつめ、かすみが漂う。
門の跡。
年季の入った看板地図と共に、長尾小学校がひっそりと顔を見せてくれた。
V字の構造は珍しい。右手の建物はお手洗い。
正面玄関だろうか。両側には苔むした水飲み場。
昔、学校には焼却炉が備わっていたものだ。ダイオキシン問題が起こる前の話。
ホルマリン漬けの標本。
竹製の花挿し。古い廃校でよく見かける。
標語が微笑ましい。
教室には色々残っているぞ。
この信号機のようなものは、以前は正面玄関に掛けられていたようだ。
みんな当時は働き者だったんだ。
映写機は何を映してきたのかな。教えて、アコーディオンさん。
この倉庫のように、小学生の世界は混沌としている。時に理不尽で、情に流されやすくて、秩序もあってないようなものだ。人生で一度きりの懐かしい日々。
頭上には校歌。校舎の裏側へ行ってみよう。
トコトコ駆け降りてゆく。子供に戻った気分。
渡り廊下。当時の子どもたちのウキウキ感が、僅かに残っている。
渡り廊下を通過し、振り返る。焼却炉どこー?
あったー!ジブリ映画のようなお洒落な焼却炉。後方に散らばるボンベも自然に溶け込んでいる。
校舎に戻り、二階へ。
この日本地図は、ボタンを押すとその都道府県が光ったらしい。
自然教室として使われたのかな。
卒業記念「S57年 学校の風景」この五年後に校舎は閉校となる。
人里離れた山奥にあり、子供たちは家族のような学校生活を送っていたのではないだろうか。筆者不明の文字が語りかけてくる。当時の様子に思いを馳せる。
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