
標高1000mの地に建設されたコンクリートアパート群。学校、病院、娯楽会館などを完備し、「雲上の楽園」とも呼ばれた。

鉱山の採掘は1911年に始まり、最盛期の1960年頃には鉱山町の人口は1万3594人に達したという。その後、世の潮流により需要が激減。1969年に会社が倒産し、全従業員は解雇され人々は去っていった。
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ここの醍醐味の一つは屋上にある。


遺跡のように荘厳な景色が広がっている。やはりここは日本の廃墟の代表格なのだとしみじみ思う。遠くにポツンと見えるのは至誠寮。

アパートは11棟ある。

それぞれに「い棟、ろ棟、は棟、に棟…」と名前が付けられており、各棟の中にも大きな黒文字で記されていた。

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アパートの内部を
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歩いてみよう
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人がなくなって半世紀、風化は激しい。

子どもイスには昭和のヒーロー。

新聞は昭和44年10月8日付。

そして、回収を待ち続ける牛乳瓶たち。


生活は裕福だったと聞く。

極寒の地にありながら、セントラルヒーティングも導入され、当時の東京や大阪よりも最新鋭の設備を調えていた。


それも遠い昔。

こちら水洗トイレ。見た目はそう見えないが、確かに水洗トイレなの。


暇をもて余した便器たちは自由を謳歌していた。
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別の棟から
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再び屋上へ
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やっぱり屋上が最高だ!!


とっておきの青空。夏は草木が密生し、冬は一面の雪に覆われるだろう。その間隙を狙ってやってきた。

あの亀の甲羅のような建物は、ここで有名な中央廊下。
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脱衣場。

共同浴場だ。賑やかな声が響き渡ったのも遠い昔。大家族のような付き合いもあったに違いない。


中央廊下にやって来た。


このアパート群の大動脈と言えよう。

当時の人々の往来に思いを馳せる。


陸の軍艦島とも言われる所以がよくわかった。ほんとうに広大、そして偉大。

踵を返し、降りてみる。




ここは「ほ」棟だな。構造が似ているため迷いそうになる。
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だ…
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誰かいる…!!
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軽装の欧米人と会った。Twitterで有名な方だ。日本在住でもう20回近くここに来ているそうだ。

何度も屋上へ登る。



リピーターファンも多いのも頷ける。ここに泊まりたいくらいだ(笑)

一旦開けた場所に出た。あの大きな大煙突に行ってみよう。

建物同士は渡り廊下で繋がる。

又は、繋がっていた形跡。

そうしないと、積雪で移動出来なくなるほど冬は雪が多いのだ。

ここは焼却施設だろうか。


廃墟美とは不思議な造語だ。朽ち果てるものに、心に迫る何かがあるのだ。

松尾鉱山は孤島のような立地で、軍艦島と比較されることも多い。向こうは、世界遺産となった。

名声に差はあれど、松尾鉱山は押しも押されぬ日本を代表する産業遺産である。
提供:廃墟遺構空撮
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