明治45年、碓氷峠(横川から軽井沢間)を行き来する列車の動力を供給するために建設された変電所。昭和38年に新幹線が開通し、列車の運行が終わると共に役目を終えた。
廃墟廃墟していないのは、平成6年に国の重要文化財に指定され、修復工事が行われたからだ。
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でも
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裏手に回ると…
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本来の姿が少し垣間見えた。
修復前はかなり朽ち果ててイイ感じだったのに、廃墟美が無くなったとマニアの間では不評である。
とはいえ、外壁の煉瓦などは99%当時のもの。
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では
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入ってみよう
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毎年文化の日に因んで数日間の内部公開をしているという。なんと、偶然その日に当たるというラッキー♪
ここは蓄電室だった。床が「チクタクバンバン(昔のスライディング・パズル・ゲーム)」みたい。昔、蓄電機の配線を通していたらしい。
この神殿のようにそびえる白いコンクリート。現役の頃は、屈強な電気系統の機械がはめ込まれていたのだ。
根元の青い印は当時のまま。ネットで探すと当時の貴重な写真も見受けられる。苔むし具合、朽ち具合は廃墟マニア垂涎の様相であった。
奥の機械室に行こう。
ここで係員の方が色々説明してくれた。私以外にも何人か見学に来ており、熱心に話を聞き、時に係員が舌を巻くような質問もしていた。
現役時の写真。
修復前の丸山変電所に会いたかった。でもこれは退廃的な美を求める個人的な意見。修復して安全になったからこそ、老若男女が訪問できる開かれた場所となったのだ。
碓氷峠の廃線(信越本線旧線)はハイキングコースに生まれ変わり、紅葉を楽しむ人々(登山スタイルの年配の方が多い)で賑わっていた。
昔の線路上を歩くという非日常。景色もよく気持ちいい。時折見かけるお客さんの足取りも軽やかでウキウキが伝わってくるぞ。
クマが出るほど自然が豊か。
当時の列車はアプト式といって、急勾配に耐えうるよう二本のレールの間に、三本のラックレールを取り付けていた。登りは徒歩くらいのスピードであったとか、下りで止まれず脱線したなど大変な歴史を持つ。※アプト式はジブリの「風立ちぬ」で再現されている。
トンネルの多いこと。蒸気機関の時代は、乗員乗客煤まみれになったという。
昔はここを汽車や電車が通っていたんだと思うと感慨深い。現在の碓氷峠は電車の代わりに、山中を輸送するバスが出ている。大半のお客さんは新幹線を使うが。
熊ノ平変電所だ。1937年の建築で今は使われていない。
ハイキングはここからスタートする人が多いかも知れない。
碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」に着いた。日本最大の煉瓦づくりアーチ橋。明治25年に完成し鉄道を支えてきたが、新幹線開通と共に廃線になった。
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~ジブリアニメ「風立ちぬ」より~
今日はいっぱい歩いた。よく眠れそうだ♪
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