線路沿いの廃醫院。 外観が素晴らしかった。地元のフォトコンテストでここを撮った方が入賞されていたのも頷ける。
近隣のご年配によると、昭和10年代(戦前)には開いていたという。驚くほど古い病院だった。
今日はどうされましたか?約80年前に小窓の奥からそんな声がしていたのだ。
「当時は車なんてないから、みんな徒歩で通ったよ。駐車場はいらなかったのさ」これも近所のご年配の談である。
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おおお…!!
とびっきり素敵な空間が待っていた。
革製の服がベットの上に残っている。院長先生のものだろうか、戦前の香りがぷんぷんだ。
受付の内部。
病原菌模型標本も残っている。
先ほどの小窓。ここから多くの会話が交わされたのだろう。
この和服の女性の張り物が印象的。流行る気持ちを抑えつつ、さらに奥へ。
照明の天井部分がハイカラ。こうした意匠が堪らなく好きだ。
右手の部屋は診察室。
調べによると内科であったらしいので、ここは手術室ではないという判断をしたが、どうだろうか。
木製の小箱。きっと診察台と昔からの仲良しだ。
部屋の隅っこにはゲゲゲの鬼太郎にも出てきそうな傘。相当古いぞ。パリパリに固まっていた。
ガタンゴトン…線路が隣接しているため、時折電車の音が聞こえてくる。
また静かになった。この建物は田舎の片隅でひっそりと星霜を重ねているのだ。
隣の部屋。
ジブリアニメのまっくろくろすけのようなものが、もしいるのならば
まさにこういう場所にいるんじゃないかな…って思ったりする。この看板はどこのものだろう。
部屋の中心には薪ストーブ。
雪深い場所だ。さぞや大活躍したに違いない。見ているだけでポカポカと暖まってくる。
カレンダーは1969年で止まっている。昔過ぎて、想像も追い付かない。
奥にも小部屋。床が崩壊している。
壁に掛けられたままの上着。きっと、気の長くなるような年月このままだ。本当に感慨深い。
左奥の眩しい部屋へ。
美しい。素直な気持ちだ。廃れゆくものに、美を感じる不思議な感情。
離れには入院病棟があった。院長先生の自宅のような建物も近くにあった。
院長さんは台湾の方であったと推測される。どんな事情があったにせよ、異国の地で異国の人々のために尽くされた功績は尊い。建物が解体されず残っているのも、恐らくその辺りが関わっているのかも知れない。
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