1958年に建てられた校舎。1971年に閉校した。木造平屋建て校舎で、山深い場所にある。
入り口もオープン。だいぶ朽ちている。
頭上、かろうじて「肥料倉庫」との文字。一時は肥料倉庫としても使われていた名残だ。
画面右下。オルガンが倒れている。
学校の面影はほとんど無い。
柱も曲がり、無への回帰は始まっている。
チラッ…
五右衛門風呂だ。
学校の裏側は、竹藪と化していた。
高台からの眺め。屋根は瓦からスレートに葺き替えられている。そうでなければ、自重で崩壊していたかも知れない。
教職員の宿舎だろう。
奥に何かあるぞ!
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間違いなく、この競智小学校の大親分だ。貫禄あるなぁ。おうっ!また来いよって言われてるみたいだ。
運動場をはさんで向かい側には、新しめの集会所。石碑も見える。
誰がつけたか、競智とはいい名前。明治に創立した学校は二文字の造語を当てることが一般的だった。当時の様子を伺い知ることは出来ないが、この場所で子どもたちは元気いっぱい青春時代を過ごしたのだろう。
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