倉沢集落は「倉沢のヒノキ」が有名だ。
天をつくような立派な巨木で都内に現存する最大のヒノキとされる。奥多摩町の天然記念物にも指定されており、ワクワクしながら15分ほど山道を歩く。
あ…あれか…!?
あった~!!!
推定樹齢600年、幹周6.3m、樹高約34m。立派な倉沢のヒノキが姿をあらわした!!!
頭上は何本かに枝分かれしている。
幹には亀裂が見える。樹齢が記載通りなら、室町時代からあることになる。付近にはベンチがあり、ゆっくりと眺めることが出来た。
倉沢のヒノキに別れを告げ、倉沢集落へ向かう。
たまに物音がするとドキッとする。熊のいない時期を選んできたつもりだ。
なんちゅう傾斜。転げ落ちないように慎重に進む。
ようやく見えてきた!!
倉沢集落は炭焼きを生業としていた。最盛期は昭和30年代で、石灰鉱山の社宅が造成され、数十世帯が暮らしていたという。
建物のほとんどは2005年に取り壊された。
今は当時の残留物が残るのみ。
下方を見下ろすと建物の土台が残る。ここで最後の一人となった住民は、2004年まで住んでいたという。
降りて近寄ってみよう。梯子も気になるが、その先に何か見えるぞ…
それはなんとピアノの鍵盤だった。今日の宝探しはもう始まっているのだ。
最初の平地に戻り、石階段を登る。
この集落は段々畑のように山の斜面に沿って形成されている。
貯水タンクが佇んでいる。
階段はあみだくじ状に複数ある。右へ左へ色んな階段を使いながら登っている。
おっ!!!
なんとローラー式の洗濯機だった。おそらく、昭和30年代の製造だ。
洗濯機は黄昏ている。「白物家電」とは言ったもの。遠目にも白さが際立っていた。
さらに進むと…
これは…!!
じゃん!
じゃん!!
じゃじゃ~ん!!!
散髪台だった!!!
最盛期の倉沢集落には、一通り生活のインフラが整っていたという。理髪店も当然あり、このように残っているのは感動的だった。
坂はどこまでも続く。
やはり土台のみ。
一瞬ブランコかなって思った。正体は不明だ。
てっぺん近くまで歩いてきた。石垣というのはつくづく頑丈。未来永劫、残りそうな気配だ。
おっ!
共同の炊事場らしき場所だ。
ガスではなく竈。
ここで煮炊きしたのだろう。昔は山の幸を使った美味い匂いが周囲に立ち込めたのだろうか。
隅では瓶たちが身を寄せ合う。ひそひそと昔語りを交わしているかのようだ。
こちらは共同浴場か。
転がるボイラー。少し雪が見えるが、当時はもっともっと降り積もったに違いない。
もう少し上まで行って振り返る。
暫く座って眺めていた。時折動物の声がこだまするが、一帯はとても静かだった。
倉沢集落の古い絵ハガキを紹介。ここの最盛期には、実に200人もの人が住んでおり、もはや一つの村であったという。全ては時の経過とともに自然に飲み込まれていった。今も昔も変わらない自然がそこにあった。
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