
九十九里島湾南部に位置する俵ケ浦半島。大変な山越えの先に、亀野小島という小さな島がある。その昔、真珠養殖場として使用されていたらしい。

この家屋が目に入った時、目的地は近いと確信した。もう汗だくだ。

これらの硝子や焼物は浮標として使われていたもの。最盛期の昭和30年代には約50人の人々がここで働いていたという。
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さらに深く背の高い草を
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掻き分けて…
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この景色を見た時、嬉しかったのなんの!!やっと、やっと着いたのだ!!長かった~!!!

この場所に立ててメチャクチャ嬉しい。事前の情報が少なく、苦労したぞい。

この板橋は、当時使われていたものだ。満潮時には、この板の上を渡り人々は行き来していた。干潮時は陸続きになるので、このように下を歩くことが出来る。

一度後ろを振り返る。キツかった山越え。帰りは楽な道が見つかるといいが…。

この橋、よ~く見てみると…これって…もしかして…
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電信柱ではないか!!なんと役目を終えた電柱が、この橋を支えていたのだ。

さしもの電柱も、所々折れている。ここの環境の厳しさを物語っている。

建物が見えてきた。
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ついに、上陸。


部屋はがらんとしていた。

ここは1996年から蔓延した養殖貝のウイルス感染症が影響し廃業したという。

周囲を巡る。島と言ってもかなり小さい。目を凝らすと水中には魚の群れ。当時の養殖カゴも沈んでいた。

これは、積み出し用の桟橋だ。

つい数年前の記事では、ここは倒壊していなかった。確実に崩壊は進む。

山を登頂した気分である。美しい景色をゆったりと眺めながら、小休止。


満潮になったら、ここは沈む。帰り時間も加味し、少し急ぎ足で戻ろうか。

苔むした石。ロープで括られており、何かの役目を果たしていたのだろう。

さらば電信柱。

再びあの山を越えて帰るのかな…。

帰りは行きより安心安全なルートで帰ることが出来た。しかし、多少の迷いはあった。亀野小島を訪問する際には、先達はあるに越したことはない。
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