石鎚小中学校は愛媛県西条市(旧・石鎚村)にあった学校。1977年に同時に閉校となった。
門柱跡が残されている。当時はここから下方に階段が続いていたようだ。幅が狭いので少々移動したと考えられる。
ここは「軍神の母」関サカエさん終焉の地と呼ばれている。関サカエさんの息子、関行男は太平洋戦争のレイテ沖海戦において、神風特別攻撃隊「敷島隊」を指揮し、アメリカの護衛空母3隻を撃破した武功で知られる軍神だった。
戦意高揚のため「軍神の母」と讃えられたサカエさんだが、敗戦後は一転「戦争加担者」の誹りを受けることになる。遺族年金も絶たれ困窮し、物置を借りて住み草餅の行商で細々と生計を立てたという。
見かねた知人のつてで、ここ石鎚中学校に用務員として雇われ、最後は用務員室で55歳で亡くなった。敷地には彼女が最後に暮らしたと言われる家が倒壊寸前の状態で残されていると聞く。行ってみよう。
あいにくの雨。
石柱だ。
「皇太子殿下御降誕紀念 昭和十年」と記されている。
校舎の土台だろうか。※後に分かったが生け簀の跡らしい。校舎の面影は見つけられなかった。
完全に緑に包まれている。
そんな中、遊具が残っていたのは驚きだった。
丈夫な鉄製。朽ちることは無い。
当時の子供たちが、きっとここに登ったのだろう。
サカエさんの住まい?否、ここは給食室だったようだ。事前に調べた資料ではまだ体を保っていたので、ここ数年で崩れたのだろう。
雨は強まるばかり。晴れていたらもっと探索したかったが、キツイぞ。
関サカエさんは、生徒達からは「日本一の小使いさんの関おばさん」と呼ばれ親しまれていたようだ。なんたが嬉しい。廃墟巡りは歴史のジャンル。実際に足を運ぶからこそ得られる体験が待っている。
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