大正時代初期の建築。操業時はここに坑夫の昇降や、石炭の搬出に使用する巻揚機が設置されていたという。1968年に閉山した崎戸炭鉱の関連遺構で最も古いものだ。
木が張り付いている。東南アジアの遺跡のよう。
周囲を巡り…
↓
中へ入ると
↓
↓
中央には水場。なんだかいい雰囲気だ。
最近降った雨のおかげ?空が映し出されている。
この二ヶ所だけ窓が塞がれている。どうしてなのだろう。
壁に張り付く幹は、時に煉瓦が崩壊するのを防ぐ命綱の役割も果たす。
海上にコンクリートの遺構が見える。崎戸炭鉱は従業員7500人の日本屈指の炭鉱だった。当時は、過酷な労働環境から「鬼ヶ島」とも呼ばれたらしい。
上方の丸い部分に何か書いてある。
『昭和十三年 五月十三日修繕 幸尾』手書きなのだろう、歴史を感じる。
帰り際、視線に気付いた。
↓
↓
↓
おっ!カニさん。そうそう、海が近い。
ここは車道に面しており、車から降りて写真を撮る人もちらほら。100歳を越えて尚、崎戸島の観光大使として現役だ。
↓
↓
↓
先ほど見た海上のコンクリート遺構を川の対岸から眺めてみる。奥には巨大なホッパーが見えるぞ。
島では釣り人を多く見かけた。のんびりした雰囲気で、カメラの三脚持参の人や、散歩をするカップルが見受けられた。
ここは、ウォーターデッキステーション。この土台の上に木製の橋が架けられ、260mもの遊歩道として人気があったという。所謂、観光地だった。自然災害により橋は無くなり、そのまま放置されている。
崎戸島は廃墟の面から見ると「平和寮」や「美咲アパート」などが解体済みで、少し寂しい。しかし、難攻不落の素敵な物件が一つ残っている。それは後程…
コメント