電波のつながらないトンでもない山奥。1964年、当時としては画期的な鉄筋コンクリートの二階建て新校舎がこの地に完成した。
猫の額ほどの校庭に対して、石碑が超巨大だ。
ここはダム建設に伴い旧校舎が水没するため、代替として建てられた。しかし、林業の衰退により急速に人口が流出し、5年後の1969年に休校となる。
取り壊されなかったものの、暴走族や不良により、破壊されまくったと聞いている。
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それでは
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入ろう
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予想通りだ。人為的なものと、自然のダブルパンチ。
人の足跡に混じって、猪などの足跡もある。車で気の遠くなるほど走ってきた山奥。油断してはいけない。
窓の外には満面の水をたたえた坂本ダム。
来る途中に立ち寄ったダムの写真だ。※この校舎の訪問は運次第な所がある。通じる山道が脆弱で、自然災害で通行止めになることもしばしば。
二階へ。
お洒落な窓から光が射し込む。踊り場は裏切らない。
この部屋こそ、東ノ川小中学校の代名詞。
アコーディオンカーテンがはがされて、骨組みだけになっているのだ。
オルガンの踏み板だったのかな。
この学校を調べていて驚いたことがある。
この校舎で学んだ生徒の人数が、小中学生合わせて5人だけだったらしい…。国策の補填とはいえ、ちょっと…。
この校舎に罪はない。人が居なくなって半世紀。立地を考えても廃校としてのキャリアは、まだまだ長そうである。
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學校の裏手にある、東ノ川集落も巡った。
建物は10戸程の無人集落であるが、重厚な公民館もあり、インフラは整っていたようだ。
この赤い建物が「秘境にある幻の郵便局」として有名らしいが、定かではない。この手のマニアには、垂涎ものらしい。
さらにさらに山を登る。
神社があった。きっとこの集落と共に歩んできたのだろう。
今この場所から半径10キロ、誰も人がいない気がする。日々の喧騒から離れ、どこまでも静謐な空間に包まれている。
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