1929年、二俣尾駅から雷電山のふもとまで石灰石積出し用の専用線が敷設された。1964年に廃止されるまで稼働し、石灰石は二俣尾駅から川崎の工場へと輸送されたという。専用線は約500mの短い区間だがレールや架線柱などが今も残っている。
駅から少し歩き、福小路第一踏切を渡った先。今回の旅のスタート地点が見えてきた。
右側の土手へヒョイ。
転轍機(ポイント切り替え機)がお出迎え。
表面には可愛らしい苔。多くの廃線を巡ってきたが初めて出会う代物。すっかり気に入ってしまった。
実際に手に取ると想像以上に重い。線路とのジョイントは外れているが、レバーも動かすことが出来る。ガチャガチャ…。
木製の架線柱は入場ゲートのよう。今回の目標は山中にあるホッパーだ。さぁ行けるか、気持ちを引き締めて出発だ。
気が付けば足元には線路。夏場は視認が難しいのではないか。様々な事を鑑みて廃線探索はやはり冬がオススメだ。
おっ。
小川を跨ぐために架けられた橋…ってか線路だ。苔生している。
滑り落ちたら大変なので迂回。
さらに進むと想定外のトラップが待っていた。
沈む沈む…。湿地帯で地面は水気を含んだ泥になっていた。靴がズブズブ沈む…。
今回の装備で直進は無理だ。かなりキツイ。
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周囲を見渡すと
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奥に山道らしきものが…
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右側に山道を発見!進んでみよう。
左側の眼下に見えるのは先程の湿地帯。あそこを突っ切るには相当の準備と覚悟が必要だ。
あれは何だろう。架線柱の基礎だろうか。線路は見えないが、きっと重みで沈んでしまったと思われる。
開けた場所が見えてきた。道は間違っていなかった。
再び橋。
周囲にはコンクリートの基礎跡が残る。茶碗や瓶などの生活用品も落ちていたので、作業場であったと考えられる。この場所で山からインクラインで運んだ石灰を、貨物列車に載せ替えていたのだ。
それにしても…
中央の木が立派。地表に伸びる根が力強い。
オートバイも発見。当時はこの辺りを走り回る連絡係だったのだろうか。
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小休止の後は山登り。この先にホッパーがあるらしいが、無事に見つけられるだろうか。不安と期待が入り交じる。
上り坂もキツイ。
本当にこの坂で合っているのか…。
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!!!
見えてきた〜!!
お目当てのホッパーとご対面。昼下がりの陽に照らされて輝いている。ありがとう、ありがとう。
道を挟んだ隣には巨大な水槽。動力用エンジンの冷却水を溜めていたという。
ホッパー内部へ。
ザザ〜ッ。
ホッパーの山側は平坦地となっており、ここに巻上げ動力機が設置されていたと推測される。
立派な佇まいだ。後に知ったが1920年代(大正時代)の建造物らしい。
内部は期待通りの構造美を放っていた。
この中央の土台は何だろう。きっとインクライン・巻き上げ用の動力機と関係がありそうだ。
裏手から。
無機質なコンクリートの中に木板を見つけた。何だか嬉しい。
ここまでは最短で一時間だろう。散々迷ったので二時間程使ってしまったが、苦労が大きいほど喜びも大きい。
もう少し進むとトンネルもあるらしいが、それは次回に持ち越しだ。
作った方々はきっともうこの世にいない。でも、作ったものが100年以上の時を経て、見る人に感動を与え続けていることを知ったら嬉しいに違いない。森の中のホッパー。これからも末永く人々に感動を与え続けてほしい。
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