かなり奥地にある。「長者野」という地名が興味深い。調べると、大地主の長者様が住んでいた土地という意味があるそうだ。
創立は明治12年。戦後に中学校を併設し、多い時には130名ほどの児童生徒がいた。1978年の閉校時には中学生0人、小学生5人であったという。
中央にそびえ立つ銀杏の大木。ここの歴史をずっと見守ってきたのだろう。
実は、この校舎では大変なことが起きている。
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内部が崩壊しているのだ。裏側へ行こう。
二階の壁が垂直に切り立った教室を通過する。
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そっと
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抜けて
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裏から見ると一目瞭然。移ろいゆく廃墟。終着駅へと確実に向かっている。
あっ!大木が倒れ、橋のようになっている。
何だか幻想的だ。ちょうど太陽が照り始め、緑の苔が眩しい。
慎重に進む。奥は岐路のように枝分かれている。
右。
かつての学びの舎には、もう戻れない。
左。竹たち「僕らが支えてるから」SAM「ごめんね」この場所でしばらく写真を撮らず、周囲を眺めていた。たくさんの廃墟を見てきたけど、こんな光景は初めてだ。
不思議だ。
廃墟特有の退廃的なムードが感じられない。むしろ前向きで、やりきった感がある。
離れの講堂はまだ大丈夫そう。入ってみよう。
昭和49年(廃校4年前)の記事に興味深いものがある。県中総体に全校生徒7名(男子5名、女子2名)のうち男子5名全員!が出場し団体優勝。
続いて県中学新人戦では仙頭清くんが個人優勝。華々しく学校のフィナーレを飾ったという。
この地域は仙頭という名字が多いらしい。何でも、古来のとある役職を引き継いできた由緒ある一族だとか。
銀杏は秋になると、いちょうの葉っぱで、一面を黄色く染め上げる。拾う子どもがいなくなっても、今年も色づくのだろう。この大木のように太く生きたいものだ。少なくともこの学校は太く生きた。
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