巨大な3本のコンクリート製の電波塔。旧日本海軍による無線送信所で、1922年に完成した。1号塔から3号塔、全く同じ作りで、高さ137m、3本の配置は300m間隔の正三角形となっている。電波塔としては、高さ古さ共に日本一だ。
1997年に後継の電波塔が完成したことにより役割を終え、国の重要文化財に指定された。この電波塔は太平洋戦争開始の「ニイタカヤマノボレ」の発信など、様々なエピソードがある。ここでは割愛するが、興味深い歴史が盛り沢山だ。
さぁ、近づいてきた。威風堂々たる構え。映画やアニメのロケモデルにもなるわけだ。
この3号塔だけ、内部公開をしている。
ほぁぁぁ~
高い。コンクリに一切の緑が寄生していない。上質な素材&高度な建築技術の賜物だ。「100年前に作ったのに、あと100年は大丈夫!」誇らしげに教えてくれたのは、ここのガイドさん(70代くらい)。ただならぬオーラを放っていた。
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ここから
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スーパーおじいちゃんの
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話が
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面白かった!
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昭和35(1960年)頃、ここはおじいちゃん達の遊び場だった。梯子が見える。これを登り、頂上でよく遊んでいたという…。SAM「頂上って、てっぺんですか?」おじいちゃん「おう。昔は三角形の電波台があって、しょっちゅう登ってた」
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当時の写真を
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見せてくれた
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向かって右側が、スーパーおじいちゃんだ。SAM「他の友達も登ってたんですか?」おじいちゃん「クラスの男はみんな登ってたよ」
SAM「登らない友達もいたのでは?」おじいちゃん「そんな奴、いないよ。そんなこと言ったら、みんなにバカにされるわ」
SAM「親とかは、注意しないのですか?」おじいちゃん「当時は、日々の生活でいっぱいいっぱいや。子供なんて完全に放置されていたよ」
SAM「ほぁぁぁ~」おじいちゃん「途中で電波台の手すりが撤去されてよ。まぁ、それでも行ってたけどね」
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当時の写真を
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見せてくれた
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凄い…凄すぎる。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」などで戦後の日本を感じることはできるが、実際に目の前で教えてもらうとインパクト抜群だ。SAM「どうしてガイドをされてるのですか」
おじいちゃん「ガキの頃、さんざん悪さしてきたからよぅ。罪滅ぼしや」不敵で、少~し意地悪そうな表情。でも…でも…カッコいい。内に秘めた、自信のようなものもにじみ出ていた。ブレない生き方。同じ男として、素敵だなって思った。こんな風に歳を取れたらいいなって思った。そして、何よりもこの電波塔が大好きなんだって伝わった。おじいちゃんの青春だ。
三本の電波塔の中心に、この送電機電源室がある。昔は、それぞれの塔から延びる三本の線を集約していた。
と、言うか…
モフモフしまくりやん!モフモフ…
ここは近々、一般公開するためにリニューアルするという。それに伴い、お役所はモフモフを取ってしまうそうだ。おじいちゃん「緑が壁にあった方が良いって人が8割なんだけどなぁ」
三角形の電波台が取り払われた時の写真。おじいちゃんは再び設置してほしいと切に願っていた。
※ドローン風景by絵はがき
観光地として訪問したが、とっても有意義な時間を過ごさせてもらった。最後におじいちゃんは、テレビにも載ったんだよって、さらに写真を見せてくれた♪
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ほぁぁぁ~!ありがとうございました!!!
コメント
コメント一覧 (1件)
おー、地元だ。
てっぺんであぐらかいて座ってる写真は見た事あります。多分地元のテレビ番組だと思います。
去年かおととしにもNHKがここを巨大コンピューターという設定で佐世保を舞台にしたドラマをやってました。
ところで、ここは初めて訪問したのですが、そのキッカケが茨城の詐欺寺本覚寺を名乗る封書が神社やお寺などに送られているという情報をググったものです。何やら外国人も一枚噛んで動いてるそうですよ。では。