眼科専門の個人医院。情報が極端に少なく、1945年に開業したことしか判らない。戦後の日本と共に歩んできた病院である。
受付の小窓が哀愁を誘う。
多少散らかっているが、医療器具は健在だ。
目薬やら何やら、種類が多い。
このAugospelという機器は、低周波治療器で近眼治療を施すものだという。
お馴染みの顎乗せるやつ。
カレンダーは1991年。千切り絵のけろっぴは小学校から贈られたようだ。地元密着型の個人医院だったのだろう。
この時、地震を感じた(体感震度3)。数分後に再び揺れを感じた。今日はやけに地震が多いな。
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地震の正体は、なんと自分の重みだった。近くをトラック等が通る度、建物全体がトランポリンのようにかなり揺れる。ボヨンボヨン…ここから、そ~っと歩くことに。
凄い‼薬がしっかり残っている。当時のままに備品が残る。
窓際の薬瓶が、とってもキレイ。でもたぶん飲んだら死ねる。
奥には視標。上上下下左右左右…
現在のランドルト環(C型)には斜めがないらしい。よって、これは古いタイプだ。数字やひらがなバージョンは珍しいぞ。
ベッドがある。昔の個人医院は入院業務も兼ねている事が多い。
窓の外は院長先生のお宅かな。行ってみよう。
夕日に照らされて。木造建築には落ち着きがある。
趣のある廊下だ。このような昭和の家も近年は滅多に見られなくなった。
各部屋は足の踏み場もない荒れよう。この部屋は、多くの日本人形が出迎えてくれた。
さぁ、帰ろう。病院の白壁が自然に溶け込んでいる。いい廃墟には必ずこんな独特の雰囲気がある。裏口から正面玄関を抜け、そっと病院を後にした。
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