正式名称「東京都専用線小河内線」。アプローチは無数にあるが、基本に則りこの場所から出発だ。
この路線は、氷川駅(奥多摩駅)から水根駅までの6.7kmを結んでいた。現在も橋梁や隧道など多くの遺構が残っている。
小河内ダムの製造に伴い、ダム工事現場までの資材輸送のため1952年に開通。1957年に資材輸送完了により役割を終える。
運用はたったの五年間だった。観光利用も一時期考えられたが、結局お蔵入りに。
廃線としてはかなりメジャー級らしい。落書きはこれくらい。
最初の出口が見えてきた。一人で随道を歩くのはいつも心細いものだ。
その反動だろうか。トンネルの出口には、言葉にできないほどの魅力を感じる。何枚も写真を撮ってしまうのだ。
夏は緑に阻まれてかなりキツいだろう。以前、赤沢随道で撃沈した思い出がある(笑)
線路の幅が広い。旧国鉄の規格だろうか。
僅かに残る電気系統の跡。
右カーブ。
ん?
柵だ。かなり前に作られたようだ。
トンネルに名前がついている。「第二桃ヶ澤/昭和27年」ここから先は名前を記そう。
眼下に見える国道。ここに廃線が残ってるなんて知らない人も多いだろう。
「第一桃ヶ澤/昭和27年」
左カーブ。
天気良し。蜂も熊も蛇もいない時期にやって来た。でも熊鈴はつけている。
「清水/昭和27年」
このトンネルは長かった。入った時のひんやり感が違うのだ。
この先、驚きの光景が待っていた!!
おおおー!!!崖になっとる!!寸断されている!!
↓
夏ならば引き返すが
↓
今ならいける!
↓
崖を登り切ったとこ。
一度、振り返る。
「第二板小屋/昭和27年」
一度振り返る。
ここは線路がしっかり残っていた。
向こうのトンネルまで、見晴らし良好。先が見えない真っ暗なトンネルには怖さを感じる。
再び出口。
「第一板小屋/昭和27年」なるほど。氷川駅(奥多摩駅)から水根駅までを、逆走しているから、数字は小さくなるのだ。
トンネル内の写真はわりと省略している。実際はもっと長いのだ。遠く聞こえる車の音が電車に思えてしまったりして、時々ドキドキする(笑)
少し険しくなってきたか。
このトンネルは名前が分からなかった。
なぜなら…
うおっ!
落ち葉がこんもり。プレート見えん。
どんどんゆく…。
!!
別角度から見ると橋だった。けっこう高いぞ。
少し慎重にゆく…。
渡り終えた。
急斜面沿いの路線。土砂崩れもあっただろう。
また橋。
「梅久保/昭和27年」
もはや、登山である。いくつトンネルを越えたかも分からなくなってきた。
線路のど真ん中に木!!廃線では撮っておきたい定番の写真が撮れた☆
「トンネル名:白髭」デカい石が通せんぼしてる。
自分はどこに向かってるんだろう…。
うわー!
こりゃ、危ない!!
そっとそっと…。今日はとんだアドベンチャーだ。
トンネル~。
「第三境」最後、注意!注意!!
なんとか渡り終えた…。
今までの道をじっくり振り返る。この橋はもう使いたくないから、どこかで降りられたらいいな。
このトンネルは長かった。
↓
↓
↓
希望の光が見えてきた~♪
このは昔はがっちり閉じられていた場所だ。今は通ることができる。
再び橋。この先のトンネルはきっと第二境、そして第一境となっているのかな。
ここも落ちたら大変!!山を下って帰ろう☆
今日は初めて随道の魅力がわかった気がした。思えばトンネルは10個通過、休みなしで長い長い旅だった。いつか水根駅方面も行ってみたい。その時は気の合う友達を誘っていこう。
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